こう感じるのは私だけでしょうか。
私たちは日本語のネイティブです。
日本語を私たちと同じレベルで流暢に話せるアメリカ人と接した時に、
・・・どうでしょうか?
日本語の流暢さはすばらしいことです。
しかしながら、これはあくまでも私の感覚だけかもしれませんが、違和感を覚えます。
むしろ、カタコトの日本語のほうがその場の空気が軽くなるような気がして、また接客も楽しくなりそうに思います。
あまりの見事な日本語に、つい難しい日本語で返してしまい、相手が理解できなくなることもあるかもしれません。
そして、そのアメリカ人も難しい日本語の単語を使おうとして変な内容になる可能性もあります。
「カタコトしか話せない」と初めからわかっていれば、会話の中であえて難しい単語を使おうとはせず、単刀直入にその結論だけを簡単な単語を使いながら表現しようとします。
それで通じるのです。
ですから、接客時のコミュニケーションという観点からすると、
In terms of mutual understanding, "Katakoto-speaking" is much better than trying to speak like a native speaker.
へたにネイティブのように話そうとするよりは、相互理解という意味においてはカタコトのほうが断然ベターである。
逆の立場で考えた場合、外国の方々も私たちに対して同様の感覚を持つと思います。
それを裏付ける経験を私は数えきれないぐらいしてきました。
ちょっと「流暢風」に話す相手には、すべてがスピードアップされて返ってきます。
そうなると「相互誤解」の始まりになります。
それは本末転倒ですね。