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ひとり言

ふとグチ文句を言いたくなったり、”それはちがうでしょ”と思ったときや、
ふと”そっか”とひらめいたときに記したメモ帳。


其の1:ネイティブについて思うこと

縁側で外国人女性と日本人の和服の女性がお茶をしている画像

こう感じるのは私だけでしょうか。

私たちは日本語のネイティブです。
日本語を私たちと同じレベルで流暢に話せるアメリカ人と接した時に、
・・・どうでしょうか?

日本語の流暢さはすばらしいことです。
しかしながら、これはあくまでも私の感覚だけかもしれませんが、違和感を覚えます。

むしろ、カタコトの日本語のほうがその場の空気が軽くなるような気がして、また接客も楽しくなりそうに思います。

あまりの見事な日本語に、つい難しい日本語で返してしまい、相手が理解できなくなることもあるかもしれません。

そして、そのアメリカ人も難しい日本語の単語を使おうとして変な内容になる可能性もあります。

「カタコトしか話せない」と初めからわかっていれば、会話の中であえて難しい単語を使おうとはせず、単刀直入にその結論だけを簡単な単語を使いながら表現しようとします。

それで通じるのです。

ですから、接客時のコミュニケーションという観点からすると、

In terms of mutual understanding, "Katakoto-speaking" is much better than trying to speak like a native speaker.

へたにネイティブのように話そうとするよりは、相互理解という意味においてはカタコトのほうが断然ベターである。

逆の立場で考えた場合、外国の方々も私たちに対して同様の感覚を持つと思います。

それを裏付ける経験を私は数えきれないぐらいしてきました。

ちょっと「流暢風」に話す相手には、すべてがスピードアップされて返ってきます。

そうなると「相互誤解」の始まりになります。

それは本末転倒ですね。

其の2:Good teacher

英語のネイティブと日本語のネイティブ
英語、日本語を普通に話せる

=Good teacher ? 良い先生?

I don't think so.

其の3:接客サービスの魅力

ホテリエ ホテルマンが接客で荷物を預かる画像
いつになったら自分の接客サービスに満足できるのだろう。
別になりたいとも思ってなかったホテリエ。
天の計らいなのか、45年という時間を費やしても未だにわからない、その奥深くには、一体、何があるというのだ。

ホテリエとしての「振舞い」、「装い」そしてお迎えする「この場所の設え(室礼)」をホスピタリティの大基本に据えて、洋の東西を問わないゲストの心の機微に触れるこの仕事に魅了されてしまったのかもしれない。

其の4:「心の眼を開く」とは

ボンヤリとしか見えない。
心の眼を大きく開いていると、ふとアイディアが浮かんでくる時がある。
心の眼を開くとは、ゲストと面と向かい合って、期待を超えるサービス・感動を提供したいと真剣に、心の奥から集中すること。

ゲストが感動し喜ぶ姿を鮮明に思い浮かべることができれば、それがまた感動実現への原動力になっていくのです。

其の5:ゲストの記憶に一生残る

われわれは時間がたつにつれ、それぞれのゲストの記憶が薄れていくかもしれない。100分の1、1,000分の1ですから。
でも、ゲストからすれば1分の1=100 ですので、
あなたのホスピタリティ次第で彼らの一生の記憶になるのです。